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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(3) オレの寺!傑山寺 [-2018旅行・地域]

「伊達に名臣 片倉小十郎あり」

な~んか、昔から耳にした文言なんだよね。
初代景綱は伊達政宗の幼少から仕えた名臣中の名臣だ。
そもそも伊達家は米沢拠点で政宗もそこで生まれ、景綱は長井で生まれた。
そう、伊達家も我がふるさと置賜の英雄たちなのだ。

さて景綱は合戦での戦功はもとより、
豊臣秀吉への対応を巡り伊達家内部が鋭く対立したとき、
「伊達家100年の大計のためには一時の恥を忍び耐えるべきである」、
と政宗に不戦降伏と小田原参陣を決意させたことも功績として有名だ。
まさに側近として仙台藩の草創期に活躍した文武の名将だ。
ゆえに藩領南の要衝地の白石を任せられて守り治めたのであ~る。

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そんな市内には、
「おれが行かずば誰が行く」
とクソ演歌のような幟で現在も英雄なのだ (^^)d

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その景綱の子重綱(のち重長)は父に劣らぬ才識勇武を持つといわれ、
大坂の陣に参戦し、夏の陣では先鋒となって、敵将後藤又兵衛基次、
薄田隼人正兼相の軍と戦い、これを大破し「鬼の小十郎」と称された。
そして真田幸村とも戦い、その戦いぶりに幸村が感心し、
敵方ではあったが、その器量を見込み子どもたちを預けたらしい、との一説も。
その片倉氏歴代城主はしっかりと家を護り明治の世を迎え、
現在の子孫は仙台市在住のようだ。
  → 片倉家家系図

その初代片倉小十郎景綱が建立した、
片倉家の菩提寺が常英山傑山寺(臨済宗妙心寺派)だ。
景綱を始め、歴代城主とその奥方らが弔われている。
  → 常英山 傑山寺 公式ホームページ


狭い路を地元民のように愛車で快走し到着~!

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本堂の前に2年前に建立された景綱の銅像がドド~ン!とお出迎え (^^)

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「遠いところから、よく来たな、ほらっちょ。」
「はは~っ!」
「聞けば、そなたの奥方も片倉と申すではないか。
 我が子孫に連なる者なのかな?」
「はっ、残念ながら違いまする。
 しかし出自は同じ伊達家家臣ではありまする。」
「さようか。残念ではあるが、今日はこの我が白石の町を良く観て参れ。」
「はは~っ、ありがとうございます!<(_ _)> 」

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・・・でたよ、いつものように妄想劇場が ♪ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノ♪

本堂外で手を合わせ、右へ進み御朱印のお願いをし、
次は左へ進み、景綱の墓や片倉家、松前家の墓を参拝するのだ。

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まだ残暑の厳しい暑い日だが竹林が涼を奏でるし、
秋には紅葉も綺麗そうな風情のある境内を進む。

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程なく初代片倉小十郎景綱の墓へ。

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墓は敵にあばかれないように、あえて墓石を造らず1本の杉を墓標とした。

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その老木はまさに実直な人柄を表すかのように、
山内にひときわ高く、堂々とそびえ立っている。
弱肉強食の戦国の世にあり、天下に名を轟かせた威風堂々さよ (^^)v

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そして傍らには奥方の五輪塔も立っている。

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境内には名力士の谷風を始め、白石ゆかりの偉人らの墓も多くあるようだ。
そして片倉家と松前家の墓へも参拝。

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きちんと手を合わせて、今回訪問の感謝の意を伝えて敷地内へ。

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次は隣の松前家の廟所へ。
伊達騒動で抜群の働きをなし伊達62万石を救った、
北海道松前城主 松前慶広の5男安弘と、
その子、広国の墓。将棋型の墓石が堂々とし力強い。

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そんな傑山寺から初代景綱は白石の町並みを眺めている。

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少し過ぎた感はあるが、この時期の紅葉はさぞかし美しかったでしょうな (^^)
天下の英雄が眠る墓・・・ファンはしびれました。  

さてその景綱の跡継ぎの重長が、
いよいよ真田との橋渡しとして歴史舞台で活躍だ!           (つづく


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