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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(6) 喜多・田村の墓 [旅行・地域]

あの真田幸村の墓が白石市にある!

オレがこの衝撃の事実を知ったのは実は近年だ。
大八と阿梅らのことは以前から知っていたのだが・・・(-_-)

そんな事情ゆえに仙台真田氏は、
偽装系図の家筋として江戸時代を過ごしたのだが、
実は真田幸村の血脈を伝える家柄である、
と晴れて公言できたのは明治の世になってからだ。

そんな幸村の墓は江戸初期に娘婿により建立された秘密ゆえに、
墓石には字など刻まれておらずまっさらな石である。

そんな背景を送り、時代は下り、
約400年後の現在へ伝わる浪漫に感激 (ノД`)

そのお墓がこれだ!

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場所は先の片倉家歴代城主廟所とほぼ同じ愛宕山界隈にある。
田村清顕公墓所の一角にだ。
アクセスが同じ少納言喜多の墓もあるので必見だ。

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案内板が「喜多の墓、田村の墓」と素っ気ないので、
興味の無い人はもちろん、歴史ファンでも多少の知識が必要かも。
(このR113を約100km西進するとオレの家近くのセブンイレブンだ!
 ・・・とそれがどーした? とよい子は突っ込まないよーに (`ε´) )

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行き止まりの広場は観光バスOKの広さだが、そんなに人が来るのか!?
向かって左奥が喜多の墓で右奥が田村の墓だ。

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まずは喜多の墓から参拝だ。
(美味しいもの(幸村の墓)は後に♪ という幼稚な心境ネ(^_-) )

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整備された石畳の通路が嬉しい。

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およそ150mを歩いたか、周囲に墓石等が見受けられ始めると、

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ありました、少納言喜多の墓 (^^)/

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正確な資料が少なく伝説の域を出ない人物だが、
片倉小十郎景綱の異父姉で、伊達政宗の保育・教育係として、
文武兼備の日本3賢婦として称えられている。

また弟景綱のため白地に黒鐘の馬印を図案し与え、
「名を天下に鳴り響かせよ」と励ましたという伝説もある人物だ。
ちなみにその黒鐘は白石市の市章となっている。

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慶長15(1610)年7月に72歳で没。深く合掌 <(_ _)>

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その下に滝の観世音堂があり、晩年の喜多が過ごしたらしいが・・・

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これがその・・・本当かなぁ~(-_-)? ま、いっか (^^)

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さて来た石畳路を戻り、次はいよいよ田村の墓=真田幸村の墓だ。

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こちらも雰囲気のある林の中の石畳路を進む。

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程なくそれらしい場所が現れると気分が高揚し卒倒しそうになる \(^^)/
それが田村の墓。

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中央が三春(現福島県郡山市)の大名で、
政宗の正室 愛姫の父親 田村清顕の墓だ。

戦乱の世にあり清顕は豊臣秀吉に領土を没収され、白石へ移住したらしい。
その孫の定廣は伊具郡に身を潜めていたが、
愛姫の命により片倉小十郎重長が白石に招き、
喜多の名跡を継ぎ、片倉金兵衛と改名し、
幸村の娘の阿菖蒲を妻として仙台藩士となった。

ちなみに阿菖蒲は先の5人とは別に、
後に重長により京都より白石へ招かれた。

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定廣が田村家の墓と舅に当たる幸村の墓をこの地に建立し、
一族の菩提を弔い、没後は阿菖蒲と共に眠っている。

田村家もまた戦国の世に倣い厳しい運命を辿ったが、
真田幸村の墓もまた数奇な運命を辿って、ここに在る・・・合掌 <(_ _)>

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幸村と阿菖蒲の親子が仲良く並んでいる。

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後年の説明碑に「真田左衛門佐源幸村御墓」と。

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同じく「真田幸村・・・阿菖蒲・・・」や「田村・・・改片倉金兵衛・・・」と。

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父を偲ぶのに無名の墓碑を立てるのが精一杯だった、
幸村の遺子たちの想いが、悠久の時を越えて伝わってくる (ノД`)

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そんな浪漫に胸がいっぱいになり、
ここを離れがたく、しばし周囲をウロウロする怪しいオレ (^0^;)

・・・イイね!小粒のようでキリリと迫る白石 (^^)/   (ついに感動の最終回へ


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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(5) 片倉家廟所 [旅行・地域]

花崗岩の玉垣に囲まれ、石畳の床上に大きな石像を墓標とした、
白石城主 片倉家歴代城主廟所は、
陪臣ながら非常に立派なところで、周囲は荘厳な空気に包まれている。

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我が町のR113を東進し越県し白石市街地へ入る右側にそれはある。
大昔に参拝したことがあるが、記憶は遙か彼方である (>_<)

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3代片倉小十郎景長は片倉家代々の城主の墓所を白石城の見える愛宕山麓と定め、
初代景綱と2代重長(重綱)の墓を傑山寺から改葬し、阿弥陀如来座像を墓標とした。
以後9代まで石像を墓標としたが、明治に没した10代宗景は謙虚に角柱だ。

現在は愛宕山共葬墓地も隣接し、当日も墓参りの人々の姿が見受けられた。
その駐車場から石段を上りいざ推参!

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白石城がほぼ真東に望めて、直線距離でおよそ1kmだ。
ちなみに伊達政宗の白石城攻略時には景綱の本陣とした場所でもあるらしい。
(かつて白石城は会津の上杉家の先端城であった)

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一般の方々のお墓を横目に進むと、鬱蒼たる杉林に囲まれた廟所が!

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この雰囲気に圧倒されてしまう (^_-)

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初代景綱を中心に歴代城主の墓が並ぶ。
奥方は傑山寺や当信寺に葬られたが、
7代城主の奥方は仙台藩主の息女ということで城主同様に葬られている。

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初代景綱の阿弥陀如来座像がお出迎え。

「ここにも参られたか、ほらっちょ。」
「はは~っ <(_ _)>」
「聞けば、・・・・・・」
「はっ、・・・・・・」
「・・・」

・・・もう止めっか (^_-)

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仙台から招いた石工に彫らせた阿弥陀如来座像たちに圧倒される (^^)

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左奥の10代宗景の角柱から。

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傍らには初代景綱に殉死した6名の家臣の墓がある。

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さらに明治維新後、北海道開拓の際に建てた片倉惣家中碑もある。

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静かな林の中から歴代城主は今日の白石の町を静かに見守っている。
ホント、陪臣ながら素晴らしい墓所に感動だ。

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その後は駐車場入口の愛宕茶屋が気になり突撃。

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ここで多くのパンフレット類を確保・・・やはりな (^^)/

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さていよいよ次は、この隣がクライマックスだ (^_-)☆             (つづく


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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(4) オレの寺!当信寺 [旅行・地域]

初代片倉小十郎景綱の功績は先のとおり
その子、2代目小十郎重綱(のちに重長と改名)も、
父親譲りの文武の名将であったらしく、
大阪の陣には病床の景綱に代わり政宗に同行し、
先陣として武功を立てたその戦いぶりから「鬼小十郎」と称された。
(ちなみに景綱は夏の陣の後の秋に59歳で没)

さて、真田幸村が討ち死にし、長男 大助も自害して果ててしまい、
幸村の血を受け継ぐ男子は、幼少の次男 大八ただ1人となった。
徳川に歯向かい、家康の命を脅かした幸村は決して許されない罪人であり、
その血を受け継ぐ男子 大八も生かしておかれる存在ではなかった。

そんな男子を匿えば、罪に問われて藩の取りつぶしは必定である。
にもかかわらず、幸村は政宗と重綱に男子の命運を託し、
政宗と重綱は幸村の遺志を汲み取って大八を匿った。
その理由は、
「敵方として重綱と実際に戦った幸村がその姿に感銘を受けた」、
「徳川も一目置く伊達家の力を頼った」
「片倉氏と真田氏は同郷の出身で、古くから交流があった」、
など諸説あるようだが真相は遠い歴史の彼方だ。
何はともあれ「英雄は英雄を知る」の世界であることは疑いなかろう。

幸村討ち死にの前夜に、まず1人目として娘 阿梅が、
大阪落城後に大八と残る3人の娘が伊達家の元に送り届けられた。
そして重綱が治める白石で暮らすことになり、
「幸村公の姫君は片倉家でお預かりしている」と天下に知らせて、
白石城で堂々と育てられた。
しかし姉たちとは反対に大八が白石に居ることは、
伊達家秘中の秘として城外でひっそりと育てられたのだ。

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そんな徳川に目をかわすために、
政宗と重綱が行ったと考えられる偽装工作。
① 「大八は京都で7歳で死亡」という偽情報を世間に広める。
② 徳川に仕えた真田信尹の次男に『政信』という架空の人物がいたことにする。
③ 政信の男子として『真田守信』を挿入。

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大八はやがて成人し真田守信として伊達家の家臣となったが、
守信の出身について幕府が疑いをかけたことから姓を片倉にして、
以後、守信は生涯真田姓を名乗ることは叶わなかった。

その後、念願の真田複姓が叶ったのは、守信の子 辰信(ときのぶ)の晩年で、
実に幸村討ち死にから97年後のことであった。
そして幸村の血統は仙台真田氏として現在まで至るのである。


・・・まったく、歴史浪漫に号泣だぜ 。゜(゜´Д`゜)゜。。。。

詳細は「歴史解説 仙台真田氏」を参照下され (^^)/
  → 幸村遺児、片倉氏に依る
  → 仙台真田氏の誕生

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ちなみに阿梅はその後、片倉重綱の後室となった。
その阿梅の菩提寺が当信寺であり、片倉守信の墓もあるのだ。
  → 功徳山 当信寺

オレは前からそれを知っていたので、いつかは参拝だ!
と訪問機会を長く伺っていた気がするが、
その念願がついに叶うとなれば、ちと興奮 ヽ(゜Д゜)ノハァハァハァ


山門は旧白石城の二の丸大手二の門、通常東口門といわれていた。
旧白石城の遺構を伝える数少ない建造物だ。

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その横を通り境内入場だが、
本堂と同じくらいに隣の民家が大きくてアットホーム感が・・・(T_T)

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天保2年建立の本堂を外から合掌 <(_ _)>

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さてお目当てを探すと、右手から裏手へ至るようだ。

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長年の念願で高鳴る期待感でわくわくと進むが、
境内はまったく狭くて、オレの勝手な想像と異なりぐわわぁあ~ん (T_T);;;
まるで獣道か!と思う道を程なく辿り着いた時には、やはり興奮だ ヽ(゜Д゜)ノ

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姉と弟が仲良く寄り添っている。
左の頬ずえをして瞑想している石仏が阿梅の墓で、
右が片倉守信=真田大八の墓だ。

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大八は真田お馴染みの家紋の六連銭ではなく、
「結雁金(むすびかりがね)」とし、以後仙台真田氏が用いたが、
墓石には一文銭が刻まれているは、
当時のその辺の複雑な事情を伺わせる。

大八は59歳で没。
阿梅は78歳で没。

数奇な運命を辿った両名に深く合掌だ <(_ _)>

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となりにあった謎の「白石老人」の墓。
なんか仙人のような伝説の域を出ない説明が、ちと気になったりして・・・。

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寺には阿梅の遺品も伝わるが非公開。

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ご本尊の阿弥陀如来も秘仏ゆえに観られない。
また、奈良の大仏様ゆかりの貴重な仏像もあるが観られない。

・・・う~む (-_-)

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真田ファン垂涎の歴史浪漫の一級伝承場所と長く勝手に想像していたが、
実にこぢんまりしていて拍子抜けの感は否めない (ノД`)
んがまぁ、オレの身勝手な気持ちの問題であり、事実はそこに在りでヨシだ。

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周囲に駐車場が無かったので市役所近くから、
散歩がてらに市内をトボトボと歩き、町の香りを伺ったがまことに静かだ。
オレが住む近くの町では長井市という感じかな?

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しかし同地を古には大八、阿梅も、伊達政宗、片倉小十郎も歩き、
建物は代わろうとも、山々や川は同じ景色を眺めたことであろう。
そして蔵王連峰から吹き下ろす風の香りも・・・

・・・ぬぁ~んて、オッさんひとりでロマンチックぅうう (^^)d          (つづく


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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(3) オレの寺!傑山寺 [旅行・地域]

「伊達に名臣 片倉小十郎あり」

な~んか、昔から耳にした文言なんだよね。
初代景綱は伊達政宗の幼少から仕えた名臣中の名臣だ。
そもそも伊達家は米沢拠点で政宗もそこで生まれ、景綱は長井で生まれた。
そう、伊達家も我がふるさと置賜の英雄たちなのだ。

さて景綱は合戦での戦功はもとより、
豊臣秀吉への対応を巡り伊達家内部が鋭く対立したとき、
「伊達家100年の大計のためには一時の恥を忍び耐えるべきである」、
と政宗に不戦降伏と小田原参陣を決意させたことも功績として有名だ。
まさに側近として仙台藩の草創期に活躍した文武の名将だ。
ゆえに藩領南の要衝地の白石を任せられて守り治めたのであ~る。

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そんな市内には、
「おれが行かずば誰が行く」
とクソ演歌のような幟で現在も英雄なのだ (^^)d

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その景綱の子重綱(のち重長)は父に劣らぬ才識勇武を持つといわれ、
大坂の陣に参戦し、夏の陣では先鋒となって、敵将後藤又兵衛基次、
薄田隼人正兼相の軍と戦い、これを大破し「鬼の小十郎」と称された。
そして真田幸村とも戦い、その戦いぶりに幸村が感心し、
敵方ではあったが、その器量を見込み子どもたちを預けたらしい、との一説も。
その片倉氏歴代城主はしっかりと家を護り明治の世を迎え、
現在の子孫は仙台市在住のようだ。
  → 片倉家家系図

その初代片倉小十郎景綱が建立した、
片倉家の菩提寺が常英山傑山寺(臨済宗妙心寺派)だ。
景綱を始め、歴代城主とその奥方らが弔われている。
  → 常英山 傑山寺 公式ホームページ


狭い路を地元民のように愛車で快走し到着~!

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本堂の前に2年前に建立された景綱の銅像がドド~ン!とお出迎え (^^)

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「遠いところから、よく来たな、ほらっちょ。」
「はは~っ!」
「聞けば、そなたの奥方も片倉と申すではないか。
 我が子孫に連なる者なのかな?」
「はっ、残念ながら違いまする。
 しかし出自は同じ伊達家家臣ではありまする。」
「さようか。残念ではあるが、今日はこの我が白石の町を良く観て参れ。」
「はは~っ、ありがとうございます!<(_ _)> 」

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・・・でたよ、いつものように妄想劇場が ♪ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノ♪

本堂外で手を合わせ、右へ進み御朱印のお願いをし、
次は左へ進み、景綱の墓や片倉家、松前家の墓を参拝するのだ。

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まだ残暑の厳しい暑い日だが竹林が涼を奏でるし、
秋には紅葉も綺麗そうな風情のある境内を進む。

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程なく初代片倉小十郎景綱の墓へ。

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墓は敵にあばかれないように、あえて墓石を造らず1本の杉を墓標とした。

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その老木はまさに実直な人柄を表すかのように、
山内にひときわ高く、堂々とそびえ立っている。
弱肉強食の戦国の世にあり、天下に名を轟かせた威風堂々さよ (^^)v

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そして傍らには奥方の五輪塔も立っている。

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境内には名力士の谷風を始め、白石ゆかりの偉人らの墓も多くあるようだ。
そして片倉家と松前家の墓へも参拝。

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きちんと手を合わせて、今回訪問の感謝の意を伝えて敷地内へ。

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次は隣の松前家の廟所へ。
伊達騒動で抜群の働きをなし伊達62万石を救った、
北海道松前城主 松前慶広の5男安弘と、
その子、広国の墓。将棋型の墓石が堂々とし力強い。

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そんな傑山寺から初代景綱は白石の町並みを眺めている。

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少し過ぎた感はあるが、この時期の紅葉はさぞかし美しかったでしょうな (^^)
天下の英雄が眠る墓・・・ファンはしびれました。  

さてその景綱の跡継ぎの重長が、
いよいよ真田との橋渡しとして歴史舞台で活躍だ!           (つづく


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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(2) オレの城!白石城 [旅行・地域]

さて白石市の観光中心は、やはり白石城かと。
平成の世になり天守が復元されて現在の様相となったが、
それ以前の公園時代と復元天守後と、過去2回訪問したことがあるが、
白石市を歴史探訪と気張った今日なれば3回目の参上なりけり (^^)d

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米沢市、会津若松市が戦国時代に、
伊達氏から蒲生氏、上杉氏と支配者が目まぐるしく変わったように、
白石市は蒲生氏の後に上杉氏が治めていた。
そこを関ヶ原の戦い直前に、仙台の伊達政宗が、
城主不在の隙を突いて急襲し攻め落としたのだ。
そして重臣 片倉小十郎景綱(初代)に与え、伊達領南の要衝の守りとし、
大改修がなされ、以後267年間片倉氏の居城となり明治の世を迎えた。
  → 白石城 (公式ホームページ)


昔と同じように市役所駐車場へクルマを駐めるが、
なんか介護施設と併用のようで、かつ整備途中のような駐車場だ。
ヨークベニマルの駐車場の方が近かったかも (^0^;)

その上り口に白石高校があったが、新校舎がR4へ移り開校したようで、
旧校舎は閑散として残っていた。これも懐かしく時の移り変わりじゃの。

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写真左手後方(8時の方向)が旧白石高校校舎だ。

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これは当時の石垣・・・片倉小十郎景綱、伊達政宗も見たかも。

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復元天守でこざっぱり綺麗なのが、ファンにはいまひとつ心に迫らないが・・・。
しかし「復元」はイイ。現代に伝わる資料等を元に、
当時の位置に元の外観と内装が完全再現されることだから。

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時間の都合で潔く天守のみの入場料300円で。

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どこの城跡もそうだが、天守閣以外に本丸屋敷も復元して欲しいものだ。

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閣内は片倉小十郎の甲冑はもちろん、
やはり真田の6連銭赤甲冑が (^^)d

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知らぬとなぜに真田が?と思う人も多いはず。
つーか、そもそも何も考えない人も多いか・・・(^_-);;;

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これはオレも訳が解らぬ、宇宙戦艦ヤマト~????(ノД`);;;

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北側の眺め・・・その先の仙台より伊達軍は進撃してきたのだ。

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東側の眺めは殿様気分かも (^^)

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奥に在来線白石駅とは別の東北新幹線の白石蔵王駅が望める。

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まぁこんなもん、とそそくさと退散だ。

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となりの神明社には、かつて益岡神社の御祭神である、
初代片倉小十郎景綱が合祀されているので参拝だ。

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再び戻り・・・

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あまり食指の動かない歴史探訪ミュージアムも一応拝見。
お土産品はイマイチで自重。
3階の立体ハイビジョンシアターも微妙で、
面白いような、面白くないような・・・(-_-)
まずは上映時間に合わないこともあり撤退だ。

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ここは桜の時期にカノジョとデートするには最高かもね (^_-)☆

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さてマップ片手に、次は歴史浪漫全開の進撃だ!         (つづく
  → 白石城下史蹟マップ (pdf)


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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(1) 名宝展 [旅行・地域]

真田幸村が大好きなオレは、
昨年ついに聖地 上田、松代、沼田へ参上し感謝感激であった。
  → 真田氏の史跡を歩く(1) 沼田→鳥居峠

次は高野山へ行きたい!と思っているが、
実はもうひとつ気になる聖地があり、それが宮城県蔵王町と白石市なのだ。
そこには大阪の陣の後、真田幸村の次男が密かに匿われて、
現代まで血脈を保っている “ 仙台真田氏 ” の浪漫溢れる地なので!(^^)/

その名宝展が4月下旬より蔵王町で開催中であったが、
何だかんだでいよいよの8/31最終日に何とか訪問できた (^^;)

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2016年(平成28年)のNHK大河ドラマは『真田丸』と決定したので、
俄然盛り上がりちゅう~[黒ハート]

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幸村は勝ち目のない豊臣大阪方へ、配流先の高野山から大阪入城を果たし、
“ 真田の武名を後世へ伝えるため ” のみで獅子奮迅の戦いを展開した。
冬の陣では真田丸に立て籠もり、鉄砲隊にて大阪方唯一の勝利を得、
夏の陣では騎馬隊による電撃突撃で、
ついに徳川家康の本陣へ至り旗印を踏みにじり、
いま一歩まで迫った功績で見事に「真田日本一の兵(つわもの)」の評価を不動にした。
しかし所詮多勢に無勢で幸村は討ち死にし、長男大助も秀頼と共に自刃し果てた。

そんな混乱の中で、次男大八と娘たちは、
敵方の伊達政宗の重臣 片倉小十郎の陣へひっそりと送り届けられていたのだ。
そして徳川の監視を見事にかわし、血脈を現代まで伝えることに成功している。

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その仙台真田氏へ伝わるお宝展なれば、
オレも最終日=最後の最後に鼻息荒く電撃突撃![黒ハート][黒ハート][黒ハート]

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我が山形県の蔵王温泉スキー場の反対側なれば遠い地域で、
普段は特別な用事が無ければ、まず通らない町だ。
あの坊平のエコーラインを上り、頂上の御釜を過ぎてゆけば辿りつくが。


白石市よりR4で県道へ入りしばらく爆走し、道路を挟んだ役場前の会場、
蔵王町ふるさと文化会館へ到着なりけり~(^^)/

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いよいよ! とかなり興奮 \(^0^;)/
(周囲は青空市場の買い物客や館内利用の中学生風情で賑わっているが、
 名宝展で騒いでいるのは、たぶんオレだけ?)

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立派な館内、特に図書室も明るく広く快適そうだ。
(我が町とは大違い (ノД`) )
その隣の狭い展示室にいよいよ幸村所用のお宝がいよいよ・・・(^^)/

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伝幸村所用の甲冑と采配には興奮させられましたなぁ~!
少ない展示数だが、他もピリリと締まりファンは大満足だ (^^)v


そんな真田幸村のガチ子孫を現代へ伝えた、
その片倉小十郎も同時に語られなければならん!
まさに「英雄は英雄を知る」。

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その片倉小十郎の城下町、白石市を中心に、
片倉氏、真田氏の史蹟を巡る悲願のプチ旅がいよいよ始まる。

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史跡巡りの大河シリーズいざ開幕 (^^)d           (つづく


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『鉄道でゆく凸凹地形の旅』 [読書]

昔から学問も地理が好きだったので、
見知らぬ土地への訪問はそんな地形を愉しむ目線ともなっている。
いつでも今すぐに!という身分ではないので本で愉しみつつ勉強かも。

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そんなことでビビッ!としびれた昔の月刊誌等も書棚の現役レギュラー。
時折ページをめくり、いつかのチャンスに備えておりまする (^^)d

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なればもちろん単行本等も (*^_^*)
それにしても、巨匠 宮脇俊三各著作は色褪せない面白さで、
特に『最長片道切符の旅』のアイデアと実行は凄い!

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日本を鉄道一筆書きで縦断したのだから。
オレの単行本は1979年初版の1980年8刷で、
1997年に横浜市の古本屋で購入したもの。
これって歴史的名著だと思うオレのお宝本でもある (^^)v

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ちなみに我が町も米坂線で通過して行かれた。
旅の開始第8日目の1978年(昭和53)年10月29日に、
秋田発で村上、山形経由で横手着の、坂町から米沢への際だ。
当時オレは中学1年生・・・坊主頭で真面目にバスケに励んでいた秋かね (^_-)

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鉄道旅に行きたいのぅ~♪
んであの日の各駅列車旅で発見したモグラ駅を後日再訪とか・・・。

旅の裾野を広げて気分をモアもっこり~(^^)d


鉄道でゆく凸凹地形の旅 (朝日新書)

鉄道でゆく凸凹地形の旅 (朝日新書)

  • 作者: 今尾恵介
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/05/13
  • メディア: 新書



最長片道切符の旅

最長片道切符の旅

  • 作者: 宮脇 俊三
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/04
  • メディア: 単行本


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さよならFT3 こんにちはTG-850 [パソコン・AV・カメラ]

ブログの写真はほとんどPana製FT3で撮影し仕事用でもある。

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防水タフネスボディでデビューした初代FT1は、
さすがにトラクターに踏まれては背面液晶が破損しご臨終となったので、
予備バッテリー流用も考えてFT3とし今日まで活躍してくれた。

しかし最近レンズ部に傷はついたし、防水パッキンも劣化、
バッテリー保持部等も破損し、外面も傷だらけでけっこう満身創痍。
そして何となく絵自体も上手く写らなくなってきたかも (ノД`)

そこで毎日の仕事スナップはライフワーク的愉しみでもあるので、
この機会に買い換えることにした。

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そこで検討したのは同じくアウトドア仕様の防水タフネスのコレ。
  → STYLUS TG-850 Tough / OLYMPUS

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仕事経費に計上しよう、2万円ちょいで安かったが (^^)

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さてコレに決めたは以下の理由にて。
① 自分撮りが楽な180°回転モニタ搭載
② アートフィルターが愉しい
③ 超広角21mm(35mm換算)からの画角
④ 以上を総じて価格が安い=コスパが良いはず

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さっそく作例。
愛機 STYLUS 1 でお馴染みのアートフィルター、
“ ドラマチックトーン ” がお気に入り (*^_^*)
21mmなれば今まで写らなかった上部に電線まで写ってやがる。

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そんなことで、日々の記録も新たな目線で絵を作れそうで愉しみだ。

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今までありがとうFT3 <(_ _)> (ノД`);;;

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取り留めも無い昨日のラン日誌 [ランニング]

昨日は仕事が快調に進み夕方早めに自由時間となった。

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・・・なれば減量目的で軽くチンタラと1時間走とスッか (^^)v

17時半過ぎに我が家から大滝地区へ向かい折り返し、
杉沢地区から高鼻峠へ向かうが、周囲はかなり暗くなっていて、
そんな峠道を走るオレは熊か変質者として通報されてもおかしくないかも (>_<)

すかす、高鼻峠では横川沿いの木々の間から遠くに見える、
スポーツ公園野球場の照明と町の灯が絵になるかも。
(次は愛機α7Rでフォトランニングだな (^^)d )

いつもの県社山、ゆ~ゆプールから自宅へ向かうと9kmだが、
なぜか足取りが軽かったので距離を稼ぐべく飯綱橋まで行き折り返すことにする。
(でも、(たかが1週間ぶりだが)膝が痛いような気がするのは・・・気のせい?)
んが、飯綱橋からはいつものHCでラスト3kmなれば計11kmで自宅へ戻る。

11km   1時間2分19秒   5分39秒/km

大滝+高鼻峠+HC.JPG

出動はいつもより早めの時間帯だったので、
帰宅や子どもお迎えの人、クルマの流れが異なり、ちと新鮮だったかも。

走るのは軽量adizeroでも快適でイイが、手は冷たいかも (ノД`)
冷え性も本領発揮の時期なれば次からは手袋必須だな。

しかし、この涼しい中なればレースも好タイムが出せるはず!
・・・と確信 (^^)v

体重もじわ~っ♪ と減量案配なのでイイ感じ。

でも、決戦のさいたまシティハーフまでは未だ4ヶ月の先か・・・(-_-)


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SIMフリースマホへ乗換え [パソコン・AV・カメラ]

オレのスマホの使用状況ではガラケーでも良いのだが、
① PCメールを確認したい、② スポ少連絡でLINEを使いたい、
ということのみでスマホなのだ。
そんな程度の使い方に対し、月々の支払い料金は高い!

最近スマホのバッテリー性能が低下し、
日常使用に耐えられん状況の機会に際し、見直しをかけたのだ (`ε´)

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とにかくランニングコスト(月々の支払い料金)を抑えるべく、
au=キャリアを解約してSIMフリー端末へ乗り換えることにした。
(格安スマホに、ちょっとドキドキだが、オレはチャレンジャーだ!(^_-)? )

→ so-net モバイルLTEスマホセット2480
→ Blade Vec 4G (ZTE)

端末代: 1241円/月(24回)
音声対応SIM月額使用料: 1890円
割引: -651円
=月額2480円!!

一般的なキャリア端末の月額料金は6500円(端末代除外)とすると、
2480円は半額以下なれば、オレには最適だ (^^)

果たして大丈夫か?という漠然とした一抹の不安は残るが、
エイヤー!とネットで申込みだ。

MNPでauのセンターへ電話すると、
あれこれと手切れ金等の請求がなされ、
やはりキャリアの言いなりで高額な料金は払えん!と意を強くする。

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申込み3日?くらいで端末が届き、わくわくの梱包開封ショー (^^)♪

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音声対応SIMはdocomoエリアなれば問題ナッシン。

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端末裏はカーボン調でカッコイイ!
と勘違いするプラスチック製のチープさが中華4000年の歴史かも・・・(ノД`)
でもZTEの社名が何となくカッコイイのでそれでイーのだ。

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ついに4G回線デビューだが、
Webページなどほとんど見ないので、どーでもイーが。

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前述の使い方しかしないのでコレで十分だ (^^)/

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しかしスマホ依存のライフスタイル、パワーユーザーには、
お勧め出来ないスペックなのでご注意!

外部メモリカード(microSDカード等)スロット無し!
5インチディスプレイのピクセル数はフルHD(1080×1920ピクセル)ではなく、
HD(720×1280ピクセル)、CPUもメモリーもストレージも見劣りする。
Wi-Fiは5GHzを使用するIEEE802.11acやIEEE802.11aに非対応で、
NFCやおサイフケータイ(Felica)にも対応していない!

だから安い=端末自体のコスパは最高に悪いといえる。
(スペック的に同等、或いは上の、
 キャリアの昨年夏、冬モデル等では端末代0円だったりするし)

しかし最新のAndroid4.4でLTEなれば、
何度も言うがオレの使い方ではコレで万々歳なのだ (^^)d
(PCやカメラは高スペックを求めるがスマホは潔くローに割り切り)

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さて問題は、やはり落下破損等が怖いのでケースは必須だが、
なかなか販売種類が無いのが厳しいと感じていたが、コレは良さそうだ。

→ 4.5~5.2インチ マルチ対応 レザー風 手帳型スマホケース

チープな端末には500円のチープなケースで十分だ。

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シリコンジェルでくっつけて、カメラ用にスライド出来ればOK。

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NFC無しなればnanacoも消えたので、
カードを発行して差し込んでおけばOK。

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税抜き基本2480円にオプションで補償をつけたので実際は3000円/月弱だ。
ま、こんな感じでSIMフリースマホを使ってみますがな (^^)♪

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あ、大事な情報を忘れた。
端末は開閉不可なのでバッテリー交換が出来ない!
2年後くらいにはどうなっているのか?
かなり不安だが、その時はその時で何とかなるだろ、と少しドキドキ。


世の中 iPhone 6 で盛り上がっているが、
その真逆を行くようで愉しい気分なオレだ (^_-)☆


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